「報ステ」

政治に 疎く、後藤田氏という人を、
ほぼ 知らなかったのですが、
イズムが ある人だなぁ、と。
それが、正しいか どうかは、別問題として。
常に それを元に、賛否を 決めてる。
損得じゃなく、イズムを 元に。
だから、大きな流れ・多数派に 反する事になって、
ぶつかる事もある。
それでも、曲げられない事が あるのならば、
通さなければならない。
イズムを 通さないのならば、
その人は、そこに 存在する意味が無いんじゃないか。


引退して、影響力が 弱くなってからも、
批判を 辞める事は しなかった様で。
全肯定ほど、危険な事は 無いと想う。
比べる、対照が 無くなるのだから。
何もない状態で、位置を 取り続ける事は 難しい。
引っ掛からないから、問題が無いとゆうのは、想い込み。
今まで以上に、多数派に居る事に安心する傾向は、
本当に 危険じゃなかろうか。


大事なのは、外れる事でも 外れない事でもなく、
本流を 把握し、外れてる事を 自覚する事と、
本流が 正しいのか、意識する事。
無意識は、いい事でもなんでもない。
自己主張してなくても、賛同したならば、
それは、賛成とゆう自己主張したのと 同じ。
自分は 関与して無いから 責任無いなんて、
そんな 都合のいい話しは、まかり通るワケが無い。
不本意で 従って、あとで 責任負わされるなら、
反してでも、自分の意思を主張すべきではなかろうか。
達ではなく、個なんだから。