「カンブリア宮殿」

和民の 渡邉美樹社長。
やっぱ、おもしろい。


「しょうがない」で 済ませてしまうのは、
変えようとゆう努力を 怠る事であり、
変えられなかった絶望から逃げてる事なんじゃないか。
それでいて、やるせない、不条理な常識には、
しょうがないと言って、我慢する。
矛盾してはいないか。


「集」は、個の集まり。
昨今、「集」ばかりを見て、
個を ないがしろにしてはいないか。
個を 軽視し、1個の 小さい事を流してしまう事は、
積もり積もって、
全体を 揺るがしてしまう事もあるんじゃなかろうか。
森を見るなら、木も見なければならない。
どちらかだけでは いけない。


夢とゆう 非現実的な言葉に、
日付を入れる事で、現実的にする。


計画が変わっても、終着点の予定日は 変えない。


無理だと想う事の、ちょっと上に設定する。
人間、無理を 毎日続けられれば、
それは 無理ではなくなる。
極端な話しだろうけど、
人間、無意識に、抑え気味に想像するものなのだろう。
それは、生物としての 本能か。


個々の夢が、叶えば 結果 会社の為になる。


どうしようもない不安に襲われた時、
なぜ それを不安に想うのか。
その原因を潰していけばいい。
正解である必要は無いのか。
自分の中で、不安を不安だと想わなくなればいいワケで。
変に、正解を求めてた気がする。
そんなもんないから、尚 不安になる。
なるほどね。


取り残されると想うべきではない。
そもそもが、周りの多くがそうだから、
それが 正しいとは限らない。
人の道から外れてさえいなければ、問題無い。
ただし、自分の進みたい方向さえ見えていれば。
大多数の流れが 見えていて、
そうじゃない自分の景色も見えてるなら、
むしろ、素晴らしい。


悩みは無い。
あるけど、それを 1つづつ、潰してゆく。
悩みがある人は、悩まないように なるには?
と 想ってしまってるとゆう事なのかも知れない。
問題の、解決方法とか 手段とかではなく。
逆に、もっと 明確に、何に悩んでるのか 分析する、
とゆう事なのかも。
明確に 要因が見つけられれば、
それを 解決する方法・手段を 探せばいい。


ヴィジョンと イメージか。


やっぱ、面白い人だわ。
すごく 現実味の無い事を言ってる様で、
実は すごく現実的。
今の常識に当てはまらないだけで、
今の効率の悪い、不明確で 不安定で 不確定な、
胡散臭い現実味より、よっぽど 効率的。


最近、提言をしてくれる人が 周りに居るのですが、
押し付けがましい人が 多く、
その人達の言ってる事は、
言われるまでも無く、解ってる事が多い。
問題なのは、解ってない事ではなく、
解ってるのに、打破出来ない事なワケで。
方法なり、手段なり、方向性なりを 模索して、
もがいてるワケだから。
それを、頭ごなしに、いいから とっととやれ、
と 言われると、尚 やる気なくして、逆効果。


で、その周りの人の中で、
その人と会って 話しをしてから、
ずいぶん 何かが見えてきたり、
見えそうな気がしてきたりした人がいる。
その人は、ボクの事を、
「ぶっちゃけ、どうなっても 自分の責任だから」
と 言った。
ボクの事を 想って、言ってくれてた人からすると、
それは 言っちゃダメだろ、だったんだと 想うんですが、
むしろ、嬉しかったとゆうか、
逆に、この人の言う事は、やっぱ 信じられると 想った。
その人の為ってのは、
その人が 一番生きる為に、ではなく、
その人が、一番 マシに見られるように、な 気がする。


しくじった時に、フォローしなきゃ いけないし、
提言して、それが 失敗の要素に含まれたら、
責任取らなきゃならないから。
その覚悟がある人は、そう居ないと想う。
その辺で、自分とは切って考えてるからこそ、
逆に、的確に 見据えて、言ってやれる事ってあると想う。
こうしろ、って言葉よりも、
こうゆうのが 合ってんじゃない?
って言葉を、信じてみた方がいいと 想う。


どっちにしても、わざわざ言ってくれる事は、
ありがたいし、ありがたく 受け止めるべきだな。
ほんとに どうでもいい人の事は、
どうとも 想わないし、言う気にならないのだから。


自分は、探す物ではなく、創ってゆくものか。