「めざまし」

よく、脱ぐってのを、女優のステータス的な言い方をしますが、
そうなのかなぁ、と。
確かに、脱ぐとゆうのは そうとうな事なワケで。
それを するとゆう覚悟をして 挑むとゆうのは、
ある種、どこまで 想い入れがあるのかとゆう
バロメーターだとも 言えるのかもしれないですが、
それは 演者側の言い分で あって、
創り手としては、そうなのかなぁ?と。
脱がすってのは、
悲しさを出すシーンで、悲しい曲 流して、
悲しい顔して 泣きながら、「悲しい」って言わすみたいもんでしょ。
創り手ってのは、いかに その場面での心情を、
見てる方に伝えるか、なワケで、
効果としては 解りますが、いいのか?みたいな。
余りにも、イージーでしょ、手段が。
格闘ゲームで、勝てるからって、ハメコンボ連発して、
それは 高いレヴェルなのか?的な。
創り手が ほくそえむ瞬間って、
王道とゆうか ベタじゃない手法で 撮った物で、
想った通りの伝わり方をした時なんじゃないかと 想う。
創り手は、所詮 裏方なワケで、
だかろこそ、常に高い事を 想ってなきゃならないんじゃなかろうか。
人って、ほんとに 悲しい時は、涙も 出ないもんです。
楽しければ楽しい程、そこには 切ないがあったりする。
怒りすぎると、笑っちゃう。
最近の創り手は、幼稚じゃないですかね。